架空のセルフポートレート -Fictional self-portrait-

2016年〜

ゼラチンシルバープリント
(Gelatin silver print | Baryta paper・RC paper)

この写真作品は、子供の頃から現在までの心の中にあるイメージを撮影したものです。

もし、自分に自分が出逢えたとしたら。きっと私はこっそり影から写真を撮って、そのうち我慢できずに「記念に写真撮らせてよ」と話しかける気がします。被写体の方々には、心の中にある場面や思い出をお話して、その場に居る「私」として写真を撮らせていただきました。

自分であって自分ではない「架空」のセルフポートレート。
1つでも記憶に残るものを見つけていただけると幸せです。

星詠み

魔法使いになりたい。子供の頃、夜になると布団の中で本を読んでいました。誰とも言葉を交わさない、誰とも関わらない、好きな人達に虐められない。息ができなくて苦しい。そういうものから逃げた場所です。ここには幻しかありません。声をかけられると、すぐ消えてしまいます。誰も私に気づくことはありません。


神様は直接見てはいけない

大切な人が亡くなってから、私の中には「自分」という神様が君臨しています。甘いミントと花の香りの中で、この世界から居なくなるべきは誰なのかを審判してきます。終わったことを繰り返し夢に見て、繰り返し願い、その度に審判が行われます。それはこの世界で永遠に繰り返されています。神様がもし居るとしたら、直接見てはいけない。それは尊い存在だからかもしれないけれど、私の神様はそこにはきっと居なくて、居るのは自分を許さない自分自身なのだと思います。


夢の中心部

心や感情の真ん中には、透明な硝子でできた塔がある気がします。迷う時、恐れる時、ものを作る時、その場所が力の源になります。状況や周りや他人がどうであろうと汚されない、絶対の価値観を守る部分です。
「美しいものは正しい」
全ての基準になる、強く美しい場所と、その中に居るもう一人の自分です。


畏怖

子供の頃から「1番になれば死ななくて済む」という気持ちに追いかけられています。しかし、私達はナイフを持って後ろから走ってくる何者か(それは多分誰かに脅かされた自分自身)を恐れるだけではありません。今はできなくても、必ずそれをいつか飲み込んで消化していく。どこまでも数字は追いかけてくるけれど、この瞬間にもそれは過去になり、私たちは未来へ進んでいるのだと思います。


門番と足音

人を信用しないように、心の中に入られないように見張っている門番がいます。すぐに人を信じてしまう自分を、何年も、何十年も守ってきました。ところが大人になり、心を許しても良いのではと思う人が増えてきました。「もういいんだよ」と言うと、門番は良かったね、と言ってくれる気がします。
遠くの方で足音がする。昔と違う、優しい足音がすると信じたい。未来への願いと希望です。


-記録として-

小山ひとき写真展『架空のセルフポートレート』を終えて。

この作品は、全て、自分の中のことです。
子供の頃から現在までの、心の中にあるイメージを撮影したものです。自分に起こったことや気持ちや思い出をモデルさんにお話して、その場面にいる「私」として写真を撮らせていただきました。

自分に自分が出逢えたとしたら。

きっとこんな場所にいる。きっとこんな人だろう。私は影からこっそり写真を撮って、そのうち我慢できずに「記念に写真撮らせてよ」と言うだろうと思いました。自分の内面に自分が出逢って写真を撮る、という想定なので「架空」のセルフポートレートというタイトルにしました。

最初はモデルさんに言い出すのが少し怖かったのを覚えています。
自分がモデルさんだったら、自分の内面を見てほしい。それを、内面は小山ひときになって外見だけを貸してくれと言うのだから、自分の事をみてもらえないのは寂しいし悲しいのではないかと思ったからです。

こんな場面なら、この人がイメージに合っている。この人なら、内面のこんな部分をおまかせしたい。そんな風に、外見でモデルさんを決めました。自分でセルフをしなかったのは、私の目に見えている美しい世界に私はいてはいけない人間だからです。

撮影内容の話をすると、モデルさんも色々なお話をしてくださいました。誰でも体験するようなことではないのに、同じような体験をしている人。同じ気持ちを抱えて生きている人。不思議ですが、作品はモデルさんの中身とリンクしていました。最初は外見だけ借りるだけだったはずなのに、多分それだけではなくて。中身が全部がつながっていって、だから、展示作品は私だけのことではなくて2人分が乗っかっていたのだと思います。

小さな頃からあまりうまく人と関わることができずに大人になり、相手には悪気がないのに傷ついたり、私には悪気がないのに相手を傷つけたりしながら、生きてきました。いろんなことが上手くできなくて、どんくさくて人の気持ちがわからないくせに自分ばかりすぐ辛くなってしまう。親身にしてくれる人がいても、傷つくことが恐ろしくて信じることができない。気を許して信じてみると、毎回酷い目に合いました。

それは相手のせいではなくて、大切にしてくれることを受け取れない受け手側、自分の問題が大きかったように思います。30代に入ってもそれは全く変わらず、誰かといてもずっとひとりきりでした。

個展の1つ前の展示であった「Tororo-10#2」で、モデルの山掛とろろさんと二人で作品を作りました。その前から、架空のセルフポートレートのシリーズを撮ってはいたのですが、展示はいつかそのうち位に思っていました。「Tororo-10#2」の撮影も、架空のセルフになる作品として撮影をしました。この時のとろろさんの向かい合い方が、あまりに誠実で、真っ直ぐで、それを見ていて、ちゃんと形にしなくちゃダメだと思い個展を開催することにしました。
Tororo-10#2から3ヶ月後に個展を設定したのは、年内でないといつまでたってもできないと思ったからです。

写真を構成してキャプションを作った時に、自分が思っていたよりも、
ずっとひとりきりの世界にいたんだなと感じました。
作ったものの中には、私しかいませんでした。

個展をしたことで、沢山の方と、人間的な関わりを持てたような気がしています。
飾らず、嘘をつかず、隠してきた気持ちを表に出したことで、外見だけでない心みたいな何かや、自分の気持ちみたいなものが、少しだけかもしれないけれど外の世界のみなさんに伝わって、やっと人と、まともな、心が通う関わりができたような気がしています。
気のせいかもしれないけれど、とてもそんな気がしています。

今回の個展では、カメラを初めて1年目に作ったフォトブックや、ラフ画、ラボさんへのプリント指示書も置きました。

楽しい、嬉しい、ワクワクする。悲しい、寂しい、怖い。
色んな気持ちを持っていくことができて、
沢山の方にご覧いただくことができて、嬉しかったです。

私は「美しいものは正義だ」と常に思っています。
それは、人の気持ちがわからないから、でも自分が思ったということだけは本当のことだからという私の唯一の基準です。弱くてもいい、下手でもいい、世間体が悪くてもいい。
それが自分から見て美しければ、誰が何と言っても正義なんだと思っています。

今回の個展で、過去の酷いことや辛いことを結構並べました。
でもその世界が美しければ、色んな事が、これで良かったんだって思えるんじゃないかなと思います。そうでなけりゃ、何を信じていいのか私にはわかりません。

美しいと思うもの、素敵だと思うものがこれからもずっと、自分の目に映り、捕まえることができたら幸せです。

最後になりましたが、モデルをしてくださった山掛とろろさん、咲元リナさん、し(りさ)さん、橋本あきらさん、ありがとうございました。
心から感謝申し上げます。人に関われて、嬉しかったです。
ありがとうございました。

小山ひとき 2017.11.21